学校では、毎日さまざまな出来事が起こります。
最近、ふと「リアクションって、こんなに嬉しいものなんだな」と感じる瞬間が、いくつもありました。
特別なイベントがあったわけではありません。
ただ、誰かが「気づいてくれた」「応えてくれた」。
それだけで、心がふわっと温かくなるのです。
夏休み中のことです。吹奏楽部のコンクールを応援に行った翌日。校長室前から何やら大勢の話し声が......。しばらくすると、ドアをノックする音。廊下には吹奏楽部員が勢ぞろいしていて、「コンクール来てくれてありがとうございました」と、全員でお礼を伝えに来てくれました。
2学期が始まり、朝、校門であいさつをしていると、「校長先生、発表会来てくれてありがとうございました」と声をかけてくれる生徒がいました。また、授業参観を終えて校長室に戻ろうとしていたとき、後ろから「校長先生」と呼び止められ、「発表会、ありがとうございました」と、わざわざ追いかけてきてくれた生徒がいました。迫力ある演技を見せてくれたダンス部の生徒でした。(ダンスのときとはちがって、恥ずかしそうでした笑)
もちろん、私は「ありがとう」と言われるために応援に行っているわけではありません。
佐井寺中のみなさんの活躍を見たくて、時間の許す限り応援に行っている。
それは、私自身がそうしたいからです。
でも、こうして声をかけてもらえると、「えっ、そんな......こちらこそありがとう......!」と、ちょっと照れてしまうくらい嬉しいものです。校長という存在は、少し話しかけづらいかもしれません。だからこそ、声をかけてくれたその勇気に、心から感謝しています。
始業式や学校だよりで紹介した、ちょっとした話題のパラドックス。「これ、どう思う?」と問いかけたところ、2人の2年生の生徒が自分なりの考えをまとめたレポートを校長室まで届けてくれました。全体的な反応が薄かったこともあり、思わず「おおっ!考えてくれていた人がいたんだ。言葉がちゃんと届いていたんだなぁ」と、じんわり嬉しさがこみ上げてきました。ありがとうございます。うれしかったです。
先日、「勉強の息抜きにどうですか?」と、ある1年生にパズルを紹介しました。すると、家で真剣に考えてくれて、その答えを校長室まで見せに来てくれました。「解けました」と笑顔で見せてくれたその姿に、「おぉ、やるねぇ!」と拍手。ちょっとした遊び心に反応してくれること、それもまた素敵なリアクションです。とてもうれしかったです。その1年生が退室した後も、うれしくてずっとひとりで笑顔でした。
掃除後の後片付けについて、写真で示した貼り紙を掲示しました。すると最近、放課後の手洗い場で、雑巾やスポンジがきちんと整理されて干してあることに気づきました。「おお、ちゃんと見てくれてる......!」と、立ち止まってその美しい光景をしばし眺めていました。言葉にしなくても、行動で応えてくれていることに、胸がじんとしました。
今回紹介したこと以外にも、うれしいリアクションはたくさんあります。どれも日常の何気ないワンシーンですが、そこには「見ているよ」「聞いているよ」「考えてみたよ」という、温かな "心" があります。
それは、「気持ちを伝える」という行為そのものです。
それが、どれほど嬉しいことか。 それが、どれほど安心につながるか。
少しだけ大きな話になりますが......
ノーベル平和賞を受賞した著名な作家が、「愛の反対は憎しみではなく、無関心だ」という言葉を残したそうです。
この言葉の重みを思うとき、私は「関心を持つこと」、そして「アクションに対してリアクションがあること」の大切さを改めて感じます。
佐井寺中のみなさんが見せてくれた、じんわりとした温かさを感じさせてくれるリアクションの数々に、ただただ感謝の気持ちでいっぱいです。
佐井寺中学校が、気持ちがそっと届く、やさしい空間であってほしい。
そして、誰かの心遣いや気配りが、誰かの安心につながる。
そんな日常の出来事が、ここにあることを、静かに喜びたいと思います。
今日も、誰かのリアクションに、ちょっと照れながら、静かに感謝を込めて。 校長 大江健規