校長 小林です。
〔前回より続く〕ぎゅうぎゅう詰めの広電の電車が相生橋のあたりに差し掛かると原爆ドームが突然視界に飛び込んできます。おそらく何十回も資料等で目にしたであろう原爆ドーム。実物を目にして子どもたちは言葉を失っているようでした。この日交流する本川小学校近くの電停で電車を降り、学校に向かいます。学校に着くと本川小学校の6年生の児童があいさつに来てくれました。そして生活科室という南小の多目的室のような部屋に通していただきました。本川小学校の6年生と本校の6年生が一緒になり、全体のあいさつの後にグループごとに名刺交換をしました。そのあと、早速グループに分かれて活動に入りました。本川小学校は爆心地に最も近く、校内に原爆の資料館もあります。その資料館の見学や、校内に残る様々な碑を案内してもらったり、南小の子らが調べた大阪空襲のことを伝えたりと、短時間ではありましたが有意義な交流をさせていただきました。最後にはアオギリの枝に平和の願いを書いた葉っぱを張り付けるといった活動も行い、互いに平和への思いを新たにしました。
と、ここまで来たら時刻は被爆体験講話を聴く15分前。会場の資料館には近いものののんびりしている余裕はありません。挨拶もそこそこに本川小学校を後にしました。南小の子らを見送ってくれて、もう名前を覚えたのか名前を呼んでくれている子もいました。
平和公園・資料館に到着し被爆体験講話を聴きます。この日お話しいただいたのは山本さんとおっしゃる語り部の方です。住んでいらっしゃったのは広島郊外でしたが、爆発の瞬間、大きな閃光が走り校舎も損壊したそうです。幸いにも大きな傷は負わずに帰宅したものの、そのあとぞくぞくと広島市内から避難してくる人の列はまさに地獄絵図のようだったとのことでした。被爆体験をお持ち方も高齢化が進み、あと何年かすると生のお話は聞けなくなります。そういう意味でも今、このようなお話を聞けることは幸運なことです。目の前の方から貴重な体験のお話を聞いた経験はずっと忘れないことでしょう。被爆体験講話を聴いたのち、資料館の見学をしましたが、資料館はリニューアル中で、限定されたスペースに展示物がぎゅっと凝縮されている感じでした。子どもたちはみんな熱心に資料に見入っていましたが、なかでも見てほしかったのは佐々木禎子さんが実際に折った折り鶴です。本当に小さない折り鶴でどうやって折ったのだろうと思うほどです。早く回復したいと思いながらこれらを折ったと思うと本当に切なくなりました。
資料館の見学の後は原爆慰霊碑まえでの記念写真を行った後、「原爆の子の像」に移動して「平和セレモニー」を行いました。児童代表のあいさつの後に代表が折り鶴を捧げ、「折り鶴」の歌をみんなで歌いました。その姿を訪れていた外国人の方が興味深そうにセレモニーを見つめていました。そして原爆ドームをバックに写真を撮り、相生橋の上で大阪から到着した観光バスに乗り宮島に向けて出発しました。
本川小学校へ
全体で顔合わせをしました。
本川小の児童に案内してもらいます
大阪空襲のことを伝えました
被爆体験講話
展示物に見入る子どもたち
佐々木禎子さんの折った折り鶴
原爆の子の像でのセレモニー
原爆ドームを間近に見ました
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