まさに台風14号が大阪を襲うところでした。
今回は大阪は免れましたが、日本各地に
大きな被害を及ぼしました。お見舞いを申し上げます。
今朝は放送とプレゼンを使って
本校の1934年9月21日のお話をしました。
① なぜ?台風の天気予報や暴風警報が伝わらなかったのか?
・高知の測候所の風速計が70m/sの強風でぶっ壊れた。
・高知の電話線がちぎれた。
・大阪で暴風警報を朝に出したが、当時はラジオしかなく
またラジオを聴いている人は少なく、伝わらなかった。
② なぜ?こんな日に登校したのか?
・当時はエアコンがなく。授業を8時から始めていた。
7:30の登校時には風もまだましだった。
・当時は雨でも風でも 何があっても「学校は行くもんや!」
と親も子も思っていた。
・当時、校舎は新しく、「新築の2階建て校舎」が倒れることはない!
と、誰もが思っていた。
③ なぜ?逃げた児童と逃げ遅れた児童がいるのか?
・校舎の信頼感から「大丈夫やろ!?」と構えていた。
・南側の校舎が台風の南風でぐらぐらしているのを
危険だと察知した先生は「にげろ~!」と決断した。
・当時 放送施設がなく 声で伝わった教室と、雨風で
聞えず、教室に残ったクラスができた。
④ なぜ?この若い二人の先生だけが犠牲になったのか?
・吉岡先生は4月から。横山先生はなんと8月からの赴任。
今でいう新任の先生だった。勝手に動けなかったのでは?
・当時は校内放送も何もない時代。誰かの指示を待っていたのかも
しれません。他の先生たちも余裕がなかったのかもしれません。
この室戸台風で大きな被害を出した学校は
岸部第一小学校 先生2名 児童26名がお亡くなりになった。
豊津第一小学校 先生2名 児童51名
ところが、千里第一小学校は死者0人。
この辺の事情は今後研究して、来年報告したいと思います。
昨年度の6年生が描いてくれたイラスト
吉岡藤子先生とその娘の「牧子」ちゃん。
大きくなって お母さんのような優しい
中学校の音楽の先生になったそうです。
1983年の50周忌には校区のお坊さんを全員呼びました。
かつてはお坊さんに法事の供養をしていただいてた
時代もあったようですが、現在は「語りつぐ」
ことかなあ?と 「ふたりのヒロイン」として
児童にお話しています。
PTAさんからは1年に一度 こうしてお花とお菓子と
お供えしてもらっています。感謝です。
吉岡先生のおかげで命が助かった5人。
3年生になった時に保田龍門さんが造った銅像に
ご対面。助けられている児童の像も5人です!
同じ石膏のレリーフです。うちの学校のも
同じです。海南市の画廊さんに保管してあるのは
まだ輝いてて 銅みたいです。
うちのレリーフも これからも大事にしたいです。
画廊の堀内さんはこれを地元和歌山の宝だと
考えて、展示したりしてくれています。
今でも本校PTAさんのおかげでお花とお菓子
風災記念日にお供えしてもらっています。感謝!
校内で事故があったり、交通事故があるたびに
現場に行く前に、祭壇に向かって「たのんます!
絶対に助けたってや!!」とお願いするクセが、、、。