防災教育(避難訓練)

1/18(月)、コロナ禍にあり、全員で集合することができないため避難訓練を動画による防災教育としました。

私からは、震災当時の話をしました。

 「1995年1月17日は、私がこの吹田五中に体育科の教員として赴任した1年目の年でした。大きな揺れと「ガッシャーン」という大きな音で目を覚ますと、キッチンの食器棚が倒れ、家中にガラスが飛び散っていました。最初は何が起こったのかもわからず、テレビのニュースで初めて大きな地震があったことを知りました。とにかく学校へ行かなくてはと思い、家の片づけもせず、学校へ来ました。吹田市内の中学校も窓ガラスが何百枚も割れたり、大きな被害がありましたが、幸い、五中は調理室の食器が数枚割れただけで、大きな被害もなく、無事でした。登校してきた生徒に聞くと、風呂場が崩壊したとか、窓ガラスが割れた、箪笥が倒れてきたなどありましたが、とにかく、みんなが無事であったことにホッとしたのを覚えています。学校のテレビから流れる神戸の映像は、まるで戦争映画を見ているようで、これが本当に神戸なのかと、信じられない気持ちでした。
 その翌日、隣のヤマザキパンから被災地にパンを届ける動きが始まりました。でも、ヤマザキパンからパンをいっぱい積んだトラックは道路が寸断されているため被災地に入れず、交通渋滞のため引き返すこともできなくなっていました。そこで、吹田市から依頼があり、五中のグランドをヘリポートとしてヘリコプターでパンを運ぶことになりました。私がグランドに大きな「H」の文字を書いて、両手を振ってリコプターに合図を送ったのですが、なかなか気づいてもらえず、時間がかかりましたが、ようやくグランドにヘリコプターが着陸することができました。降りてきたパイロットはきれいなブーツに立派なユニフォーム姿でとてもかっこよかったです。そして、ヤマザキパンからトラックで運んだパンをヘリコプターに積み込みました。その日、体育の授業はパン運びで、先生方も一緒になって、みんなでパンを運びました。ヘリコプターには、本当に操縦席しかあいていないくらいパンを積み込みましたので、飛び立つときにはなかなか上がらずやっとの事で被災地に向け飛び立ちました。そして、またパンを積むために戻ってきたパイロットの姿は、服もブーツもどろどろになっていて、被災地の大変さが伝わりました。何度か繰り返しパンを輸送しましたが、グランドにヘリコプターが降りても誰一人3年校舎から顔を出さず授業を続けた3年生の被災地を思う気持ちも偉かったし、必死になってパンを運んだ生徒も先生方も、何か少しでも被災地の役に立ちたいという思いはひとつでした。
 そんな阪神淡路大震災から26年がたちました。その間、東日本大震災・熊本地震・大阪府北部地震などの災害がありました。私たちは、決してこの災害を風化させてはいけないし、この災害から学んだことを忘れてはいけません。一番大切なことは「自分の命は自分で守る」こと。そして、自分に余裕があれば「小さな子供やお年寄りに手を貸してあげること」です。また、災害時に家族が離れ離れになったらどうするのかなど、家族と話し合っておくことも大切です。今日、家に帰ったら、家族ともそんな話をしてみてください。
 震災の直後、神戸市の小学校の先生が作った「しあわせ運べるように」という歌が今も大切に歌い継がれています。そして、その歌は、日本各地・世界中に広がっています。最後にその歌を聴いてください。」

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このページは、ウェブ管理者が2021年1月18日 08:03に書いた記事です。

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