10月29日(水) 5年 道徳
ぼくと章太はおさななじみ。章太は、重い病気になり、遠くの病院に入院することになった。何度か手紙をやり取りしたが、しばらくすると、返事が来なくなったので、ぼくも手紙を書きづらくなった。半年以上が過ぎ、テレビのニュースで院内学級絵画てんらん会の様子がうつし出されていた。そこに、章太の作品があった。タイトルは、「友のしょうぞう画」それは、ぼくを描いたもので、解説には、「ぼくは今、あまり手に力が入らない」ことが書かれていた。ぼくは、手紙を書けない訳がわかった。ぼくの目から涙が溢れた。
今日の授業では、ぼくが流したなみだについて深く考えていました。なみだボードの「〇〇〇〇なみだ」の中にタイトルとその理由を自分で考えて書いていました。
子どもたちが考えたなみだボードを先生と子どもたちで仲間分けをしながら、掲示していきます。
うれしいなみだ、ほっとしたなみだ、感動なみだ、がんばったなみだ、悲しいなみだ、くやしいなみだ・・
【子どもの振り返りより】 友だちを思うことは、どんな状況でも支え合うことが、ちゃんとした友だちかなぁと思った。友だちはずっとそばにいてくれる優しい子っていうイメージがあったから、二人の手紙のやりとりしていた内容が、面白かったことだったり、近所のことばっかりだったから章太を思う気持ちはあんまりこもっていなかったと思う。そこで、ぼくの肖像画を章太が描いてくれたから、その章太が昔のように遊びたいという思いをのせて描いた肖像画が章太が頑張って描いたという思いがあったから感動した。友だちは、相手を支え合うことがちゃんとした友だちと言えるかなと思った。
友だちはずっといられるくらい大切にしなきゃダメと思った。なぜなら章太は手が震える中頑張って絵を描いているるのに、ぼくは手紙が来ないことに不満で、書かなくなってその自分の行いで悔しいと思った。肖像画の説明を読んで、章太が友だちのことを本当に大切に思っていて、また、遊べるようにリハビリをがんばっていることを知っていい友だちだなと思った。
