3月11日 東日本大震災から12年目

2011年は山一小学校の教頭でした。

体育館で卒業式の練習してました。

何かフラフラ?飲みすぎた?

職員室に帰ったら地震と津波のTVにみんな群がってた

意味が分からなかった。どれだけの被害が出るのか?

東北から関東まで全部がツナミ被害?

それまで親戚もいないし、旅行でも行ったことがなかった。

この12年間で福島・宮城・岩手のたくさんの友だちや知り合いができました。

DSC_8610_20221227101500.jpg

釜石の鵜住居小学校には何度も行きました。

やはり「釜石のできごと」が毎年ニュースになります。

でも実際は悲しい話はいっぱいあります。

DSC_8546_20221227101604.jpg

震災まで鵜住居小学校があった場所には

2019RWCで会場になったラグビー場があります。

明日は現地で釜石SEAWAVES の公式戦もあります。

今回は卒業式前でさすがに遠く大阪から応援しておきます!

DSC_8612_20221227101650.jpg

鵜住居地区には住宅がまだまだ点在している状況で、

子どもたちは少し山間部の津波の心配のない場所から

スクールバス数台で通っています。

RIMG2899.JPG

釜石の鵜住居小学校と

うちの学校の共通点に今まで気がつかなかった。

本校も1934年9月21日に室戸台風で

2階建て木造校舎が暴風で倒壊し53名の教員と児童の被害を

出しました。

その中で、若い女性の先生の吉岡先生と横山先生が

自らの体の下の守った1年生5名 3年生3名が

奇跡的に生きていたことが日本中の話題になりました。

やはり奇跡として伝わりました。

歴史を調べると決して手放しで喜べる状況ではなかった

様ですが、悲劇の中の明るい話題として広まっていきました。

2023年で90回忌(仏教界では30回忌がラストですか?)

忘れないでいたいと思います。

924-4.jpg

この記事について

このページは、ウェブ管理者が2023年3月11日 11:04に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「3月10日 昼は夏!?」です。

次の記事は「3月13日 サンドイッチの日」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。