5月1日(金)
古典の授業を思い出しましょう。
5月は、「皐月(さつき)」。
田植えをする月、「早苗」を植える季節に由来するとも言われています。自然も人も、大きく動き始める時期です。学校もまた、この5月から本格的なリズムへと入っていきます。
その皐月を迎える前の4月は、「卯月(うづき)」。
卯の花が咲く頃、あるいは草木が芽吹き、生命が一斉に動き出す月とされています。新しい環境、新しい人間関係、新しい学び。少しの不安と期待を抱えながら、一歩を踏み出す4月の学校の姿は、まさに卯月そのものだと感じます。新年度が始まり、校内には新しい空気が流れました。
卯の花が咲く頃、あるいは草木が芽吹き、生命が一斉に動き出す月とされています。新しい環境、新しい人間関係、新しい学び。少しの不安と期待を抱えながら、一歩を踏み出す4月の学校の姿は、まさに卯月そのものだと感じます。新年度が始まり、校内には新しい空気が流れました。
教室では、まだ硬さの残る表情、慎重なやりとりも見られましたが、日を追うごとに、少しずつ「今年度の学校生活」が形になってきました。
4月は、私自身、できるだけ校舎を歩き、授業の様子を観察しました。
3年生の数学では、因数分解を学んでいます。式を操作していく中で、複雑に見えていたものの構造がふっと見えた瞬間、生徒のみなさんの表情が変わることがあります。式を分けたり、つなぎ直したりすることで、新しい発見が生まれ、意味が立ち上がってくる。その過程にこそ、数学ならではの面白さがあります。授業を参観しながら、以前、ある映画監督が語っていた「映画撮影には数学が隠されている」という話を思い出しました。
たとえば、ある大人が子どもAに飴を渡す場面を撮影すると、子どもAは当然うれしそうに笑顔になります。次の場面では、子どもBが同じ種類の飴を持ち、やはり笑顔を見せている。画面には、その大人が子どもBに飴を渡す瞬間は映っていません。それでも私たちは自然と、「この大人は、子どもBにも飴を渡したのだな」と理解します。見えている事実を手がかりに、見えていない過程を想像する。この感覚の中にこそ、数学の因数分解が隠されているのだ、という話でした。
答えだけを追うのではなく、そこに至る思考の道筋をたどること。その積み重ねが、物事の本質を読み解く力につながっていく。学問は、日常と結びついたときにこそ生きたものになる――そんなことを改めて考えさせられました。


2年生の社会では「資源とエネルギー」を学んでいました。
統計資料を見ると、日本が多くの資源を海外に依存している現実がはっきりと表れます。欲を言うのであれば、そこから、「世界の中で日本はどう生きていくのか」という問いが生まれてきて欲しい。
資源のある国と良好な関係を築き、安定した輸入を確保するのか。
それとも、再生可能エネルギーへと大きく舵を切るのか。
統計資料を見ると、日本が多くの資源を海外に依存している現実がはっきりと表れます。欲を言うのであれば、そこから、「世界の中で日本はどう生きていくのか」という問いが生まれてきて欲しい。
資源のある国と良好な関係を築き、安定した輸入を確保するのか。
それとも、再生可能エネルギーへと大きく舵を切るのか。
はたまた、その両方をバランスよく進めていくのか。
どの道を選ぶにしても、そこには大きなコストと覚悟が伴います。
大切なのは、教科書に書かれている知識を知ることだけで終わらせないことです。書かれている事実から何を考えるのか。自分というフィルターを通して、社会をどう捉えるのか。その積み重ねが、生きてはたらく学力につながり、探究への一歩になるのだと思います。「教科書を学ぶ」から「教科書で学ぶ」へ。


体育館では、体力測定(?)が行われていました。
5月もできるだけ参観をして、佐井寺中生の学びに向かう姿を丁寧に観ていきたいと思います。

今年度に入ってから、昼休みに、運動場で体を動かして過ごす生徒の姿が増えてきましたように感じます。
はつらつとしていて、とても素敵な光景です。

1年生にとっては、慣れない生活の疲れが出てくる頃かもしれません。 卯月が駆け抜けるように終わり、皐月へ。
ゴールデンウィーク後から、学校生活はさらに本格的になります。
この節目に、しっかりと英気を養い、また新たな気持ちで日常に向かってほしいと思います。
4月の学校には、確かに芽吹きの力が満ちていました。
校長 大江健規
