5月8日(金)
今日は、3年生理科の授業を参観しました。
学習内容は「原子」。原子核、電子、イオンなど、目には見えない世界がテーマです。


授業が始まり、担当の先生が教室に立ち、3分も経たないうちに、 「この授業は安心して見ていられる」と感じました。
立ち姿、声のトーン、話す速度や強弱、そして何といっても絶妙な間の取り方。
その一つ一つが心地よく、教室の空気をすっと整えていきます。
生徒のみなさんも構えることなく、自然と学びの世界に潜り込んでいきました。
授業の始まりは、先生のご家族との何気ない会話から。 特別な演出はありませんが、日常の一場面が、そのまま学びへの入口になっていました。
今日の理科の学びは、教室の中だけの話ではなく、私たちの身体とつながっている。 そのことが、溶け込むように、しかし確かに伝わってきました。

授業は、教科書を順に説明していく形ではありません。まず「今日は何を学ぶのか」という見通しを示し、 その後は、生徒のみなさんが教科書を参考書のように使いながら、自分の力で要点を整理していきます。
ペアワークへの移行も自然で、確認と深まりが無理なく生まれていました。
先生は前に立って引っ張るのではなく、学びが進む方向をそっと支えています。
教科書を「学ばされる」のではなく、「教科書で学ぶ」。
自分で読まなければ前に進めない構成だからこそ、早く課題を終えた生徒は、次のページが気になります。
「次はどうなるのだろう」「どこにつながるのだろう」。知的好奇心が、ちらほらと、静かに行き交い始めていました。


思い出したのは、年度初めに行ったアンケートです。
佐井寺中生のみなさんは、「なりたい自分」として、「自分でできるようになりたい」と答えていました。
今日の授業には、その答えがありました。教えてもらうのを待つのではなく、 自分で読み、考え、確かめ、次へ進もうとする姿。
まさに、「自分でできるようになる」ための学びが、教室の中に広がっていました。
終盤には、化学式に関わる少し難易度の高い問いが提示されます。
「あれ?」「なぜ?」と立ち止まる瞬間。それまでとは質の異なる、より深い思考が求められる場面でした。
今日の学びが、その問いを考えるための確かな手がかりになっていることを、 生徒のみなさんが感じ取っている様子が印象的でした。
担当の先生は、本校に着任してまだ1か月。それでも、この教室には、すでに確かな関係が育っています。
先生は原子核のように教室の中心に静かに構え、生徒のみなさんは電子のように思考を巡らせ、動き回る。
ただ指示されて動くのではなく、学びそのものに引き寄せられて動いている。
先生と生徒が、教える側・教えられる側という関係を超えて、学びで引き合っている。 そんな雰囲気が、教室全体に満ちていました。
素晴らしい空気感。それを作っているのは、「教材」「3年生」、そして「先生」です。
そして同時に、はっきりと思いました。3年生は、まだまだ、もっと難しい課題にも挑戦できる。
さらに深い問いを投げかけても、その問いに引き寄せられ、考え抜くことができる。
そして担当の先生ならば、それをしっかりと支えることができる。
目には見えない原子の世界を学びながら、教室では、目には見えない力が確かに働いていました。
引き合い、刺激し合い、少しずつ温度が上がっていく学び。
どうやら、この教室――
「自分でできるようになりたい」という思いが、もう反応を始めているようです。
校長 大江健規
