演奏が終わった。演技が終わった。その瞬間、会場は静かになる。 そして次の瞬間、大きな拍手が湧き起こる。私は、その間にあるわずかな時間が好きです。 最後の一音が消えていく時間。最後のポーズが空間に残る時間。誰もが作品の余韻を受け止め、 その世界から現実へ戻ろうとしている時間です。それは、言葉より正直な時間かもしれません。 うまく言葉にならないからこそ、静寂になる。その静寂の深さが、 作品の持つ力を物語っているように感じます。
この夏、吹奏楽部とダンス部のコンクールを応援しながら、そんなことを考えました。
8月2日(日)
吹奏楽部のコンクール出場を応援してきました。大きな舞台に向け、何度も音を重ねながら準備を進めてきた吹奏楽部。その成果が存分に発揮された演奏でした。 私が特に印象に残ったのは、生徒たちの身体の使い方です。音色に合わせて自然と身体が動く。 リズムに合わせて動こうとしているのではありません。音楽の流れが身体の中を通り、その響きが自然に表れているようでした。演奏者が音を追いかけるのではなく、音楽の中に身を置いている。そんな感覚です。だからでしょうか。耳を澄ませるたびに風景が広がり、曲が進むごとに場面が移り変わっていくようでした。ソロパートの表現も見事でした。技術を磨くことと、作品を届けることは同じではありません。 そのことを感じさせてくれる演奏でした。
コンクールですから結果は示されます。しかし、日頃の活動を知っている者としては、その価値は結果だけでは測れないと感じます。積み重ねてきた時間。磨いてきた感性。乗り越えてきた困難。そして、一つの作品を創り上げる過程。そうしたものすべてが、この日の演奏の中に確かに息づいていると感じました。
コンクール会場では、受付やアナウンス、パンフレット販売、出演団体の誘導など、多くの役割を高校生たちが担ってくれていました。運営する人がいて、支える人がいて、聴く人がいて、その日だけの空間が創り上げられていきます。その姿もまた、コンクールの大切な風景でした。
翌日には、吹奏楽部の皆さんが校長室まで来て、「応援ありがとうございました」とお礼を伝えにきてくれました。演奏はもちろんですが、そのような心配りにも、吹奏楽部の魅力が表れているように感じました。
あらためて、立派な会場を準備していただき、本校生徒にこのような機会を支えてくださった顧問の先生方、そして暑いなか応援に来ていただいた保護者の皆様には、心より感謝申し上げます。 日々の指導はもちろん、送迎や楽器の運搬など、多くの支えがあるからこそ、生徒たちは思い切り表現に向き合うことができます。
また、ダンス選手権前日には、ダンス部の皆さんも練習後に校長室を訪ねてくれました。 本番用の髪型で、プラカードを手に、笑顔で登場。 「座席が後方になってしまった」と伝えると、 「大丈夫です。校長先生まで届けます!」と力強く宣言してくれました。 その姿から感じたのは緊張感よりも、高い完成度の作品を届けようとする表現者としての高揚感でした。
