その瞬間は、1年生の教室に訪れました。 数学の授業です。学習内容は「図形の移動」。採用から2年目の先生による研究授業です。 今年度、本校では授業づくり研究に関して、現行学習指導要領のど真ん中である「主体的・対話的・深い学び」をテーマに掲げています。 生徒の実態把握、課題設定、学びのプロセス、授業デザインなど、すべてにおいて体現した、見事な授業を参観することができました。

題材は、模様のように敷き詰められた合同な図形を、どのように、どの場所へ移動させたかを言葉で説明するというものです。課題は三段階で、難易度が徐々に上がる構成になっていました。まずはペアで互いにクイズのように説明し合います。さらに説明台本として文字に起こし、言葉の精度を磨きます。はじめは「上に」「下に」「ずらす」「まわす」「折り返す」など日常語が飛び交っていましたが、やがて「回転」「対称」「平行」「中心」「角度」など数学用語が増えていきます。言葉が変わると、図形の見方が変わります。見方が変わると、考え方が深くなる----その連鎖を目の前で見ました。


ペアワークの後は、全体への発表です。「この移動は、中心をここにとって...」「形は変えずに...」「裏返して...」----教室の視線が一斉に図に集まります。発表者の説明に、補足を入れてフォローする生徒も現れました。課題を真ん中に置き、生徒どうし、そして先生と生徒の間でも学び合いが進んでいきます。気付けば、教室内はすっかり「幾何学」の空気で満ちていました。つぶやきも、黒板も、ノートも、すべてが数学の言葉で呼吸しているようでした。
印象的だったのは、先生があえて発言を一括してまとめないことです。生徒のみなさんのつぶやきや発表を拾いながら、場の臨場感を保ち、必要な概念は生徒自身の言葉の発達の中にそっと芽吹かせます。 実は、参観しながら数学科の私には「もっとこうすれば」という案が一瞬よぎりました。しかし、授業終盤になり、担当の先生が1年生の現状を正確に見立てた課題設定をされていたことが分かり、その的確さに、その案は気持ちよく吹き飛びました。 机間観察は丁寧で、学びが滞りかけた個人やペアには、必要十分の支援をします。過不足のない介入が、学びの自走力を損なわないのです。


最後の課題は、ひときわ複雑な敷き詰め図形です。説明は一筋縄ではいきません。それでも、前のめりになる姿は消えません。「この課題も説明したい」「もう少し考えてみたい」----その後すぐにチャイムが鳴りましたが、1年生の学びのチャイムは鳴りやみません。休み時間になると、何人かが先生のところへ歩み寄り、「この説明でどう?」「正解?」とやり取りが続きます。ふと見れば、休み時間だというのに説明の台本を書き始めている生徒も複数います。「もっと挑戦したい」という空気が充満していました。 まさに、余韻のある授業。50分は、あっという間でした。

課題に没頭する1年生の姿。前のめりになり、腰が少し浮いているかのようなその姿。私はその瞬間を記録したくて、いつもより多く、生徒のみなさんの手元を撮影しました。ワークシートに刻まれた言葉、ペンの動き、図形の世界に没入する指先。それらは、学びの熱量を物語っていました。
今回の授業では、先生自身も学び育っていることを感じました。授業後の協議では、「昨年度、教科を問わず、様々な先生の授業を参観させていただいた。そこから学んだことを今日の授業に生かしています。」と話してくださいました。学校で学び育つのは、生徒だけではありません。
「教え上手より学ばせ上手」----担当の先生の確かな歩みが、教室に温かい空気をもたらしていました。
この授業は、学びの力を信じる先生と、それに応える生徒が切り開いた「学びの入口」でした。 こんな瞬間に立ち会えたことが、とても幸せです。
校長 大江健規
※12月3日(水) 1年生数学授業参観記
