2020年4月アーカイブ

教科書配布

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昨日(4/15)2年生から6年生までの教科書配布を行いました。

感染症の拡大を防ぐため、

「短時間」で子ども同士の「接触なく」進めることを中心にしました。

当初は「学年開き」と伝えていましたが、担任からのメッセージは控えました。

そんな中で、校長からどの学年にも伝えたことが一つだけあります。

それは、感染の拡大を防ぐために

子どもたち一人一人に頑張ってほしいということです。

「今はお友だちとしゃべったり、笑いあったり、

体を動かして遊んだりしたい気持ちをがまんしてほしい。」

そんなメッセージを、どの子も真剣に聞き、うなずき、

そして校門を出るまで実践してくれました。

千一の子どもたちはすばらしい。

後姿を見送りながら、改めて感じました。

保護者の皆様も、毎日大変だと思いますが、

学校が再開できるまで、よろしくお願いします。

80年前の卒業アルバム

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S15 アルバム表紙.jpg

3月の末に市役所を通して、後藤市長より

お父上の遺品である、本校の卒業アルバムを

寄贈していただきました。

「昭和十五年三月」と表紙にあります。

1940年...今から80年前、太平洋戦争が始まる前の貴重なものです。

現在の正門からの眺めとは違う、堂々とした木造の校舎の威容。

でも、よく見たら面影が。

S15 千一小校門写真.jpg

IMG_1913.jpg

・・・どうでしょう?面影が感じられませんか?

現在は「木造校舎」と呼んでいる、6年生が使っている2号棟。

(本当は木造ではありません。廊下と階段が板張りなのであって、

校舎は鉄筋コンクリートです。)

今はグランドから見たら手前に1号棟が建っていますが、

当時はいわゆる「木造校舎」がすっくと建っている姿が

グランドに面していたようです。

S15 木造校舎写真.jpg

学級は50人前後の(50人を超えている学級もありました)

3学級。男子クラスの「雪組」、混合クラスの「月組」

女子クラスの「花組」

なんと、千里第二小学校と同じ呼び方をしていたのですね。

(戦後の一時期「A組」「B組」だったこともありました)

歴史を知るうえで貴重な資料でもあります。

「令和」と元号が改まってから初めての

新しい1年が静かに始まっています。

「昭和」の時代から教職についている私であっても

経験したことのない、長期にわたる臨時休校。

そんな中でも、4月7日に入学式を挙行できたことは

教職員一同の大きな喜びでした。

今年は127名の新入生。

座った椅子から足をプランプランさせ、

珍しそうに体育館をながめている新入生の姿に

「ああ、やっと学校が学校らしくなった」と

私たちも笑みがこぼれました。

当日は式の次第をできるだけ簡素化し、

保護者の参列も、お一人だけにしていただき、

感染拡大の予防にはご協力いただき、感謝しています。

明日は2年生から6年生まで、

時間に差をつけて教科書の配布と新クラスの発表をします。

いろいろな希望や不安を抱いているであろう

子どもたちの今の気持ちに早く寄り添いたい、

大きな声で「おはようございます!」と言葉を交わす

日常を早く取り戻したいという気持ちで、

日々教職員は課題を用意したり、教室を整えたり、

教科書などをそろえたりしています。

IMG_1924.jpg

本当はたっぷりと時間を取って、

「お休みの間は何をしていたの?」とか

「先生の趣味は何でしょう?」と

新しい出会いの時を大切にしたいのですが、

そこをぐっとこらえて、

できるだけ子どもたち同士が接触することなく、

できるだけ短時間で帰ってもらうようにします。

今はがまんの時。

明日は笑顔だけはたっぷりと用意して、

本当に学校が再開するときまで、

楽しいおしゃべりは封印しておきます。

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