今日は、校内教育支援教室に来ている男の子と家庭科の学習(手縫いの実習)をした後、10分ほど余った時間で、僕がずっとしたかった哲学対話を校内教育支援教室に来ているもう1人の女の子も合わせて4人でやってみました。
僕は、苫野一徳さん(教育学者・哲学者)が大好きで、ほとんどの本を読んでいるのですが、その中に「親子で哲学対話」(大和書房)という本があります。その本は、苫野さんが当時小学校5年生の娘さんと寝る前の10分間で、物事の本質を考え、言葉にしていく「本質観取」という哲学対話をしているやり取りが記録されていて、それがとても楽しそうなのです。
校内教育支援教室に来ている男の子と最近話している時に、物事の本質を語っているような偉人の名言が好きということが分かり、哲学に興味がありそうだなと感じたので、
「哲学対話ってあるんやけど、やってみない?」
と聞くと、
「うん」
と受け入れてくれたので、一緒の部屋で過ごす女の子とともに本に書かれている手順に沿ってやってみたのです。
本当はテーマ設定のところも対話の中で決めていくのですが、今日は僕が「幸せとは」に設定して始めてみました。
本に書かれている手順は
①本質が分かるとどんないいことがあるか、なぜこのテーマで本質観取をしたいのかを話し合う。
②経験から、テーマに関する様々な事例を挙げていく。
③すべての事例に共通する本質的なキーワードを見つける。
④最も核心を突いた言葉で、本質を言葉にしてみる。
⑤見つけ出した答えが、最初の問題意識に答えるものになっているか確かめる。
というもの。今回は初めてということと、時間も10分だけだったので、十分には本質まで迫ることができませんでしたが、一応、「幸せとは・・・・だ。」という言葉にしてみるところまで辿り着いたので良かった。
何よりも、男の子が自分から「また哲学対話やろう。」と言ってくれたのが嬉しかったです。女の子の方もきっと次も参加してくれるんじゃないかな。
僕も楽しみ。予測不可能なことが起こる時代、哲学的思考は社会を生き抜く武器になる。
写真は、初めての哲学対話で使用したメモ。「気楽」ではなく、幸せを感じるときは、喜怒哀楽の喜と楽が共通しているから、「喜楽」だ!となったのが面白かった。もう少し時間があれば、①をもう少し深めるとともに⑤の確かめることもやってみたい。そうすれば、本質観取の哲学対話をやる意味が分かるから。