学校だより7月31日号の続きです。
「おぇ~、おぇ~!」胸の苦しさに耐え切れず、目を開けると、開少年は何が起こったのか全く理解できないまま、ただ大人の男の人に両脇を抱えられて川の土手を引きずられていたのです。アニメのように口から魚やオタマジャクシが出てくることはありませんでしたが、多量の水を飲んでいたようで、嘔吐を繰り返し、苦しいと言ったらありません。そうです、近所の運送屋に勤務する男性がたまたま通りかかって、一緒に遊んでいた友人のSOSにより川に飛び込んで引き上げてくれたそうです。開少年の目の前に流れていたのは三途の川ではなく、いつもと変わらぬ神崎川でした。ほどなく救急車が到着し、病院へ搬送されることとなりましたが、ずぶぬれの身体で救急車のベッドに横たえられた彼は、毛布の柔らかさとぬくもりに包まれ、「救急車って気持ちのいいもんやな。」と感じた次第です。
搬送された病院は看護婦だった母親の勤め先で、16:00までの勤務を終え退勤するところだった母親は、到着した救急車を横目に、「川でおぼれた子が運ばれてきたらしい・・・・・」と、同僚と会話しながら病院を出たそうです。「何を隠そうあなたの息子ですよ。」 一度帰宅した彼女が少年の着替えをもって病院へ呼び戻されたのは言うまでもありません。こんな時でも笑い話になってしまうなんて、いったいどんな人生なのでしょうか。
病院でどんな治療を受けたか全く記憶はないのですが、入院することもなく、自宅へ戻って布団に入りました。その夜から数日間、40℃近くの熱が続き、肺炎も心配されたのですが、何とか乗り越え、ド厚かましい開少年は完全復活を果たしたのです。
ただ、そのころから夜一人で寝ていると耳元で「チャプチャプ」という音が聞こえてくるのです。そのたびに怖くなって目を覚ますという日々が、1,2か月続いたでしょうか。今でいうトラウマというやつですね。あれだけあそび倒した川にも土手にも全く近づかなくなりました。しかし、そのトラウマも長続きせず、数か月後にはまた、川で遊ぶ開少年の姿が見られましたが・・・・・。
でも、今思い返してみると何がすごいって、開少年の両親はその後も「川で遊んではいけない。」とは一言も言わなかったのです。親となった自分としては、我が子がそんな目に遭ったとき、果たして「川には近づくな!」と言わないで済ませられただろうかと、真剣に考え込んでしまいます。
時を経て、高校~大学生時代に友人たちと「私ってどうして自分なの?」とか「宇宙はどうなっている?」「死んだらどうなる?」など、色々なテーマで夜通し語り明かすことが何度かありましたが、そこでなんとなく友人たちの感覚に違和感を覚えていました。それは、「周囲の友人たちに比べて、自分は死ぬことをあまり恐れていない。」ということだったのです。当時はその原因がわかりませんでしたが、ひょっとすると、既に1回死んでいるからかな、と考えるようになりました。川で溺れかけた時の絶望感や挫折、死神がゆっくりゆっくりとしかも確実に近寄ってくる恐怖、一度生きることをあきらめた体験は、その後の人生に、どちらかと言えば良い影響を与えているかもしれません。いつからか、溺れかけた経験自体、とっても貴重なものだと確信するようになりました。
頑張ることもあきらめないことも大事ですが、あきらめることも大事だと私は信じていますし、挫折してみるのも悪くはありません。助けられたからこそ、こんなことも言えるのですが、とにかくどんなことでも体験してみることは尊いことだと思います。
最後に、川に飛び込んで私を助けていただいた男性はもちろん、私の命をつないでいただいた方々のおかげで、今こうして皆様に伝えることができます。過去にもそして現在でもかかわっていただいている多くの皆様に感謝の気持ちを表しながら、キーボードを置きたいと思います。とりとめのない、拙い文章を最後までご拝読いただきありがとうございました。
コメントする