学校だより2月号、開少年の琵琶湖一周ツーリングの続編です。
国鉄稲枝駅での話し合いの結果、泣く泣くUターンを決め、同級生と2人で帰阪の途をたどり始めましたが、ここまで自転車で来たからには、やはり自力で自宅まで走って帰るしかありません。あの逢坂山を再び越えるのか・・・・・、などと想像するたびに2人は暗くなっていく・・・・・、だったかどうか、今となってははっきりしません(苦笑)。
ただ、確実に言えることは、2人は鉄道オタクらしく、国鉄の駅が見つかるたびごとに寄り道し、休憩と称して入場券を買い求めるのでした。そんなことしてないで、早く帰らないと、明日は朝から学校だよ、と神様のお告げもあったかもしれませんが、中学生の2人はお構いなしでした。
でも、そんなピクニック気分も明るいうちだけで、17時を過ぎてあたりが薄暗くなってきたら、中学生の2人には「家にたどり着けるかな?」と少々焦りが出てきました。そうなると何もしゃべらなくなり、お互いペダルをこぎ続けるだけの行程と変わります。もうどこをどう走って、同級生とどこで別れたのか、全く記憶はありません。家に着いたときは真っ暗で、恐らく8時頃だったと思います。当時は携帯電話もなく、きっと公衆電話から母親には電話を入れていたのだと考えられますが、へとへとになってどろどろの顔で帰宅した私に、入浴の指示をして夕食を食べさせてくれたと記憶しています。
翌朝、登校すると同行した同級生が学校を休んでいます。周囲の友達が「琵琶湖で何かあったのか?」などと聞きますが、開少年にもわかりません。10時を過ぎる頃、手首や首、背中などにシップを貼り、包帯を巻いた格好で同級生が登校してきました。「朝から病院に行ってきた。手首も背中も痛い!」という彼の言葉と姿に自転車ツーリングの凄まじさを感じたのか、他の友達から琵琶湖一周の失敗をけなされた思い出はほとんどありません。
こうして、私の琵琶湖一周初挑戦は、見事に失敗に終わりましたが、それで諦める開少年ではありません。この半年後にも雪辱を果たそうとする彼の姿が・・・・・。(半年後に続きます)
泣く泣くUターンを決めた稲枝駅の入場券です。
上の篠原、草津、下の能登川、近江八幡、守山、瀬田も立ち寄った駅です。
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