開少年の珍道中、続きです。
(12月6日(金)からの続きです)
少年がどうしてこんな旅をしているのか不思議に思った(?)その女性は、彼が国鉄のファンであること、列車の写真や切符を集めていることなどを聞いてくれて、「私が年末にスキーに行った時の切符があるから、それをあげようか?」と言ってくれたのです。少年は飛び上がらんばかりの嬉しさを少し抑えながらも「ください!」と甘えてしまう始末。後で送ってあげるという女性に、バッグの取手にぶら下げていた、自宅住所を書いたカードを手渡し、送ってもらえるよう頼みました。
日本三名瀑の1つ「那智の滝」を擁する那智勝浦町(駅名は紀伊勝浦)を後にして、急行きのくに15号は終着駅新宮を目指し、確実にレールの継ぎ目を拾っていきます。それは、素敵な女性とおしゃべりのできる楽しい時間がもうすぐ終わるということも意味していましたが、中学1年生の少年にはその意味が理解できていませんでした。
5:21、きのくに15号は約6時間の任務を終え、定刻に終着駅新宮へ到着。7人はそれぞれの荷物を抱え、ホームに降り立ちました。改札口を抜けると、少年以外の6人は迎えの車などに乗り込んでどんどん駅を離れていきます。夜明け前の真っ暗な駅前広場に1人残された少年は、「そうか・・・・、一緒にトランプをしていたけれど、自分だけは行く当てがなかったんだ。」とその時になって初めて寂しさを実感しました。
新宮の海岸まで歩いて、そこで日の出を待とうかとも考えましたが、まだ5時半、日の出予定時刻の7時にはかなりの時間があります。駅の待合室で時刻表を広げ、20km程北の熊野市に「鬼が城」という観光地があることを地図上で見つけた少年は「どうせ初日の出を撮るなら、景色の良いところがいい。」と考え直し、予定を変更して熊野市まで普通列車で移動しました。
熊野市駅から海岸へ出て、砂浜から初日の出を見ようとしましたが、天気予報通り雲が多く、予定時刻を過ぎても太陽は見られませんでした。1時間ほど待って雲の切れ間から見えた太陽は黄色い昼間の太陽で、少年が期待していた真っ赤な大きい日の出の太陽とは全くの別物でした。
あきらめた少年は駅へ戻り、紀勢本線を北上、関西本線で名古屋へ向かい、そこからは東海道本線で吹田へ。途中急行にも乗りましたが、ほとんどを快速などの普通列車を乗り継いで帰宅しました。前日一睡もしていなかった少年は帰途のほとんどを睡眠で費やし、きれいな風景などを十分に見ることもできませんでした。
(すみません、しつこいようですが、まだ次回へ続きます。)
開少年が実際に使った吹田から新宮までの乗車券。
新宮から熊野市、亀山と経由して名古屋まで移動した乗車券。
乗り継ぎの関係で、一度利用した急行券。
100km程度しか乗らない私に、駅員さんが「この切符しかないから」と言って、150km(100km?)の値段で売ってくれました。
おおらかな時代でしたね。
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