琵琶湖一周(続き)

学校だより 第11号の続きです

 国鉄稲枝駅での話し合いの結果、泣く泣くUターンを決め、同級生と2人で帰阪の途をたどり始めましたが、ここまで自転車で来たからには、やはり自力で自宅まで走って帰るしかありません。あの逢坂山を再び越えるのか・・・・・、などと想像するたびに2人は暗くなっていく・・・・・、だったかどうか、今となってははっきりしません。

 ただ、確実に言えることは、2人は鉄道オタクらしく、国鉄の駅が見つかるたびごとに寄り道し、休憩と称して入場券を買い求めるのでした。そんなことしてないで、早く帰らないと、明日は朝から学校だよ、と神様のお告げもあったかもしれませんが、中学生の2人はお構いなしでした。

 でも、そんなピクニック気分も明るいうちだけで、17時を過ぎてあたりが薄暗くなってきたら、中学生の2人には「家にたどり着けるかな?」と少々焦りが出てきました。そうなると何もしゃべらなくなり、お互いペダルをこぎ続けるだけの行程へと変わります。もうどこをどう走って、同級生とどこで別れたのか、全く記憶はありません。家に着いたときは真っ暗で、恐らく8時頃だったと思います。当時は携帯電話もなく、きっと公衆電話から母親には電話を入れていたのだと考えられますが、へとへとになってどろどろの顔で帰宅した私に、入浴の指示をして夕食を食べさせてくれたと記憶しています。

 翌朝、登校すると同行した同級生が学校を休んでいます。周囲の友達が「琵琶湖で何かあったのか?」などと聞きますが、開少年にもわかりません。10時を過ぎる頃、手首や首、背中などにシップを貼り、包帯を巻いた格好で同級生が登校してきました。「朝から病院に行ってきた。手首も背中も痛い!」という彼の言葉と姿に自転車ツーリングの凄まじさを感じたのか、他の友達から琵琶湖一周の失敗をけなされた思い出はほとんどありません。

 こうして、開少年の琵琶湖一周初挑戦は、見事に失敗に終わりましたが、これで諦める中学生ではありません。この半年後にも雪辱を果たそうとする彼の姿がありました。(半年後に続きます)

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このページは、ウェブ管理者が2024年2月16日 15:22に書いたブログ記事です。

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